井戸の底で実験室

天才になるという欲望を挫折したので、凡人として生きる方法を模索している。

なんでもない日 19

 努力家が嫌いだ。といっても自分の世界で粛々と仕事をしている人間は尊敬するし、素敵だ。対象に心が引っ張られるままに動いている人は眺めていて気持ちが良い。けれど、周囲に認められるために努力する人間ほど醜いものはない。

 対価を求めることに罪悪感があるのだろうか?

 いや、違う。対価を求めて努力するのは素晴らしいと思っている。結果を求めて努力するのは良い。ただ、生存を脅かすレベルの生活から抜け出すために努力をしろと言う人間や、俺に認められるために努力しろと言ってよこす人間に、吐き気をもよおすレベルの醜悪さを感じるのだ。クソな努力家連中は、努力できないやつは死ねと言う。こういう輩にはぜひ報われない努力に歯ぎしりしながら落ちていって欲しい。

 なんだかんだで自分は努力家で、しかしから回ってばかりで、努力というやつによって結果が出たことが無い。脇目も振らずに何かに熱中している瞬間が楽しくて、はかどる。でも、それが努力として認定された瞬間に、とても嫌な気分になる。努力という宗教に加担した気分になる。

 

 努力するとかしないとか、そんなことを頭から吹っ飛ばして、楽しいことだけしたいのに。ほんとうは。