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井戸の底で実験室

天才になるという欲望を挫折したので、凡人として生きる方法を模索している。

父と小遣いとわたし

 祖母が小遣いをくれるという申し出を、断ったことがある。

 小学生くらいのときだっただろうか。確か私が何かが原因で不機嫌になり、札を渡そうとする祖母に、要らないと言った。ともかく私の機嫌を金で買おうとする祖母の態度が気に食わなかったのだと思う。

 私の頬に張り手が飛んだ。父の手だった。

「どうして受け取らない!? 受け取れ!!!」

 張り手と怒鳴り声はレストランを静まり返らせた。

 私は困惑と驚愕と怒りがないまぜになったような感覚にぼんやりとし、ごめんなさいと震える声で言いながら祖母の札を受け取った。私の屈辱の記憶である。

 

 

 家父長制において、父の権威は金を稼ぐ大黒柱であることに拠っている。酔った父はおさない子どもに「どうせおまえも俺のことを金を稼ぐやつとしか思っていないんだろう!?」と怒鳴った。今から思い返せばそれは父の祖父に対する眼差しだったのかもしれない。高度経済成長期の恩恵にあずかり、不動産業で成功した祖父に小遣いをもらいまくって消費ばかりを楽しんでいた父のことを、同情するべきなのかもしれない。

 金を受け取ることによって偽の愛情の共犯関係をきずくこと。

 祖母から金を受け取った瞬間に私はこれに同意した。

 父は私に「子どもらしくあること」を期待した。

 だから自由奔放に振る舞った。子どものワガママで大学に入った。家が金に困っているときに一人で旅行に行った。自分より学歴の高い娘の学問や本に興味を持った父に、苅谷剛彦の本をあてつけのように渡してやった。家を出るときに父の貯金を全部持ち出すべきだと母に提案した。金が無いと知っていて父から小遣いをもぎ取った。

 私は今も父の期待通りに子どもだ。時間は守らない、友達は離れていく、母の世話に甘えている。ああ、しかし、孤独に生活している父から小遣いは送られてこない。小遣いが足りない。