井戸の底で実験室

天才になるという欲望を挫折したので、凡人として生きる方法を模索している。

なんでもない日 18

セキュリティアップデートかければituneもアップデートできるだろうなーと思ったし、AC無いけど電源77%あるし付けなくていいかなーって思ったんだけど、どっちも上司にダメ出し食らった。いいかなーっていうのがダメなんだろうけど、「それくらい良くない?」みたいな気持ちが抜けないので、本当にこの仕事に向いていないのでは……?

なんでもない日 17

長蛇のトイレで順番を女の子に譲ったあと、

後ろの人に「後ろへ並んでくれ」と言われたという

ツイッターで話題になった件について

 

 

私が何に対して腹が立ったのか

 

 

「FF外から失礼します」とツイ元の人を正しにかかる大勢の人々

主張する意見はみんな同じ

自分の正しさを証明するための相手への攻撃

意見の正当性で相手をサンドバッグにしている正義ヅラ

 

 

 

正義ヅラを引っ叩いてやりたいという気持ちはどこからくるのだろうか?

正しさで引っ叩いたところで相手の気持ちは変えられないし、自分自身を省みる機会を奪ってしまう結果になる、ということを身を以て知っているからかもしれない。

 

なんでもない日 16

電車の降車口がいつもと違ったのに違和感はあった。

いつも乗る小田急線準急綾瀬行きの電車。代々木上原では開かないはずの扉が開いた。あれ?っと思ったものの、降車せずに乗り続けた。原宿に向かう電車はトンネルに入るはずなのに、今日はやけに明るい。外を見ると、見覚えのある外の風景。アナウンスが流れる。新宿行きです。遅延の関係で電車が行き先を変えたらしい。

私は銀座線沿いの会社に通勤している。そこで丸ノ内線に乗り換えようとしたのだが、私のいる場所からはあまりにも遠く、途中でJR快速急行に乗ろうと判断を変えた。快速急行なら前の職場に行くのに乗っていたので迷わずに行けると考えたのである。
息を切らしながら快速急行に飛び乗る。その一瞬、なぜか現在の時刻よりも三分ほど遅れた表示の時刻盤が目のはたにちらついたのが気になったが、迷っている余裕はない。
快速急行という名が泣くぞと言わんばかりのスピードで電車が走る。さっきの三分遅れのせいだろう。電車はスピード間隔の調整をしてはしっていた。



書くのに疲れたので書くのをやめる。

なんでもない日 15

自分のMacにLINEを入れようとしたらAppleIDを忘れ、AppleIDを確認しようとパスワードが書いてあるメモ帳を探すも紛失し、悲しい気持ちになった。

探していないのは布団の下だけなので、家に帰ったら探してみるつもりでいる。

なんでもない日 14

私の会社には自己評価システムがあるらしい。
らしい、というのは、私自身は派遣的な立場なので自己評価システムをまだ経験してないのである。だから外側からチラ見した立場からしか考えることができない。

自己評価システムは、会社側が、個人の目標設定や成果を確認するためのものなのだろう。
自分のなかで目標が明確になっているのは仕事上良いことだと思う。
しかしそれを会社に提出させるシステムに弊害は無いのだろうか。自己評価システムそれ自体を評価する視点を持って運用しているのだろうか。他人に見せるための自己評価がただのアピールになり下がってしまう可能性は?

こんな疑問がちょいちょい浮かぶ

自分の仕事を自分で評価するには、自分の価値基準を明確にして、それに沿って的確な判断を下すことが求められる。けれど、それって果たしてみんなが突然できるようになることなのだろうか?

今の仕事に就いて、理想と仕事内容にギャップ差を感じることが多い。仕事の本質をつかみ損ねたのだ。他人を幸せにする、他人がミスをしにくいシステムを作る、他人のミスをフォローする。そんな仕事がしたい。しかし実際には叱るのが仕事のようになってしまう。

結局、自分は、良い人でいたいのかもしれない。

なんでもない日 13

 容姿を気にするのが面倒臭くて、社会人にもなってノーメイクにジーパンで仕事をしている。

 女性の多い華やかなフロアの中で平均点にも満たない格好をしているわけだが、別段気にならない。最初から白旗をあげているのだから当然だし、自分のなかでは、一般的なマナーを守っていない人間と見られるよりも、仕事ができない人間として認定されるほうがしんどいのだ。

 別にファッションが嫌いなわけではない。店を覗くのは好き。店員と喋るのは苦手だけど、ジャンル無関係に服屋を渡り歩くのは楽しい。店ごとのカラー、流行を取り入れたマネキン、紙袋を肩に下げヒールを鳴らして歩く女性、値段と素材のせめぎ合い、自分で着ることが想像もできないタイプの服、商品を眺める横顔……。服屋は、どんな女の子がどんな現実を生きているのかを教えてくれる。

 

 ただ、素敵な服を着るには、素敵な髪型や化粧や体というのも必要になる。朝に弱く、準備が遅く、体毛を剃らない自分には、素敵な服を素敵に着こなすための前提条件を揃えられないのである。いや、正確に言えば、揃えるのが面倒なのだ。

 自分からは「他人に見せるためのファッション」という観点が完全に欠落している。ボロボロの格好をして他人に「みっともない」と思われることへの羞恥心が無い。

 そういう羞恥心が限界突破して、麻痺してしまっているだけかもしれない。口元に髭が生えているのを見ると嫌な気持ちになるから、羞恥心自体はあるはずなのだ。でも、それを、見ないフリをしてしまう。みっともない自分が、自分の目にさえとまらなければ良い。

 こういうところが「自分の世界を生きている」と言われる所以だろう。他人の眼差しを気にしない性格、正確には、他人の眼差しを気にしないように強烈な自己暗示をかけている。

 

 

 素敵な服は着たいけれど、やっぱりそれよりも、少しでも多く寝ていたい。